本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1900(明治33) 年5月30日

 五月三十日 (欧洲出張日記) 中々今日は暑い 佐藤 岡崎 飯塚の四人連で馬車を雇ひこの東和洋行ニ居る日本語の分る支那人を案内ニ連れて市中見物ニ出かけた 愚園 張園などを見る いづれも支那の金満家がこしらへた遊び場処で人の縦覧を許すのだ 愚園の方ハ入場料が一人前十銭だ 支那風の楼閣が出来て居て其中をあつちこつちと通る様ニ為つて居る 廊下や建物の周囲に大胡不流の岩がセメント固メデ出来て又建物は中ニ蓮池を取り囲でどうしても唐詩選中の或るものを形ニした様だ 蓮ハ未だ花ハない 漸く新しい葉が少し許出た処だ 張園の方ハ丸で趣が異つて居る 此の方ハ欧洲風だ 三つ許離れ離れの建物が有るが重なものは集会所ニ使ふ為めのものか椅子や机が沢山列べてある 之れに附属して西洋料理屋が有る 此の部分ハ西洋人がやつて居るのだそうだ 此の洋風の張園に不似合なものは支那の人相見が一人園中の奥の家ニ居る事だ 支那で人相を見て貰ふも亦一興と忽ち二十銭憤発スル事と為つた 其処で案内に連れて行た支那人が筆を採つて人相見の爺が云ふ事を記した  尊相骨格清高今歳僅交眼運部目像鳳形三停相配六府相匂五官端正乃是富貴相局眼生威厳可惜鼻太低以致富厚貴子息先女後子為寉寿元古稀有余子ト三人団円福寿双全 在上海張園内 清国醒世道人評 光緒二十六年夏月 東和洋行華人代筆 昼飯はホテルデコロニーといふ仏国風の宿屋でやらかし後買物などして午後五時半頃MM会社の小蒸汽にて本船へ帰つた

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