七月十二日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)せんじつくぼのぼんちゆうがどいつと申くにからちよつとあすびニきてをりましたからわたくしもいなかからでゝいきましてあいました このゑさんといふおかたとくぼとニにつぽんめしのごちそうをいたしました(中略) わたしはこのなつはこゝのいなかでくらそうとおもつてをります それについてハやどやにしじゆうをるのハなんだかおもしろくございませんからどこかひやくしようのうちをかりてそこにねとまりをしようとぞんじます さいわいわたしがやとつておりますてほんになるおんなのあねのうちがあいてをるとのことにてそれをみにいきましたらちいさなうちにてわたしがねとまりをしてをるだけにハもつてこいといふうちですからそれをかりようとぞんじます まづはいりくちニどまがございましてそれからだいとこがついてをります そのだいどころのすミニはしごがかゝつてをりまして二かいニのぼりますとそこがねべやでございます たつたそれだけのうちですからごくちんまりといたしてをります(中略) わたしがたのんでてほんにしてをるおんなといふのはとしはまだ十九か二十ぐらいだそうですがせいのたかいことまことにふしぎにてほんとうののつぽでございます わたしはようやくそのおんなのかたのたかさぐらいきりやございませんよ このせいようじんのなかでもちよつとめニたちますからにつぽんニでもいつたらそれこそみせものにでもなるだろうとぞんじますよ こんどハまづこれぎり めでたくかしこ 母上様 新太 せつかくおからだをおだいじニなさいまし
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五月三十一日 土 薄日 夜十一時過千田薫殿ヨリ電話ニテ與倉喜平君絶望ノ報告アリタリ (欄外 夜十時與倉君死去)