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     六月十七日 (船中日記) 今朝も曇だ 舟のゆれ方も昨日の様ナもんだ オレ様ハ未だ酔ハない 変だぞ いよいよ酔ハないのかナ そう為てくれゝバ何よりの仕合だ 下の甲板の奴等が何ヲ歌うかと思ヒ気ヲつけて聞て見るとアノ学校などよく人が歌て居たトンテーヌ云々だ 妙ナ感を起させ上るわい 之レハ仏人の一群か知らん 多分伊太利人で仏蘭西から来た奴等なるべし 此のほかニ女まじりで英語だの又何処語だか知らない言葉で歌歌ふ一組有り 歌の調子等で歌ふ祈りの歌ニ似て居てかなしくてよし 半分ハ波の音ニまじり半分ハ風ニ消えアヽあんなきたない奴等がどうしてあんなにいゝ声を出すかと思ハするわい ブーロニユではしけ舟に皆を乗りこました時にアツシリヤ人が独り大声で丸で日本のをいわけ歌の様ナ調子で歌ヒ始めた時ニハ余り面白い心地ハしなかつた 移住者の内ニ独り風琴(アツコルデオンと云器)を引く奴が居る 時々プーピープーピーとやつて居る 之レデ一番米国ニ渡り金貰でもやらかさんかとの大胆者か或ハ自分の道楽か何ニしろしほたれ切て居る者の中て面白そうニやつて居るのハ却てかなしく聞える様だわい 其野郎も今日ハいき付たものか琴の音ハさつぱり聞えなく為て仕舞つた あゝ今日ハ昼後は少し晴れたが其代ニ夕方から波が一としほ高く為たかと思ハる かへすがへすも不思議ナノハオレがなんともなくめしなどをうまうまやらかすのだ 今日なんか湯など命じて潮湯と云次第 なんとしやれてるだろう 日本通の舟では毎日でも只匁で湯ニ入られた事だと覚えて居るが今の船ではそう云訳ニハ行かぬ 妙ナ切手の様ナものニ記名をさしたから銭を取られる事ニ違なしだ 段々と知り合が出来る 昨晩の男が今朝若い女を又一人引合した 此の女ハ矢張米国産にて画ヲ一年程巴里で学だとの事だ ブーグロ流がきらいだと云ので遠慮なく話が出来る オレの画の写真だの両サロンの絵入番附など引出しテ来て見せてやつた 之レから少シ美人の評判を致しませうかネ 先づ中等ニ二人有り 黒毛ニ黄毛だ 黒毛の方の奴年の頃十六計り 即ち二八と云処だから結構でげす 兄の様ナ奴と二人でブローニユで乗つたが人種はとるこ辺らしい 舟乗場で誰かと話す処を聞たが仏語の達者な事丸で仏人の如シサ 面ハ決シテ美人と云のぢやネへが一寸奇ナ面だ 下ツピロの方だ 矢張面中で一番いゝのハ目だろう 目が黒い様ニして少シ釣て居るから悪くネへ アハレナるかや舟ぎらいと見へて直ニやつゝけ時々黄い青い色ヲしてちんばを引乍ら甲板ニ上つて来る アヽ何処かのやんごとなき御方かナア 病気ニ為るとハやさしい 第二号の美人ハ黄毛だ 此の者ハたいした面ぢやネへ 何処と云て非常ナ処ハない 只ちよいと悪気のない様ナ面をして居ると云丈の事 年の頃は十八九 アンペラの夏帽でいやニめかした様ナ処身分のいゝ者とハ決して思ハれない 多分田舎者だろうよ 若い処と引張の分子が少い丈で持て居るのだ 下等の出カセギ連ノ中ニハ可成ナのが居る様だが人数が多いのとごたネニ寝込で居るのでどうも取調が行届き兼る 一番よく倹査ニ及だのハ上等だ

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August 1913
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1913(大正2) 年8月29日


 八月二十九日 金 晴 (鎌倉)
 午前中新聞ナドヲ読ム 午後一時過由井浜町商人某ノ葬儀アリ 門前ヲ通ル 始メテ日蓮宗ノ行列ヲ見タリ 二時過ヨリ東子及孝ト漁船ニ乗リ込ミ海老網下シヲ見ニ行キ四時頃帰宅セリ

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