1892(明治25) 年7月28日
七月二十八日 木曜日 (ベルギー・オランダ紀行)
久米と古道具屋ヲひやかす 松方氏次郎公を連て来る 久振りで次郎公ニ逢たら中々大く為て居るわい テニエの画がほしかつたが安くまけないから止て帰る 昨日の如く今日も此処で昼めしの御馳走 しやけの魚を日本の醤油で煮タルなど味ヒ妙也 感心ナのハ此処の内の娘さんさ 小シモ高振らず松方の部屋ニ食事の用意などいつも自分でやらかす 只の話しも物知りの様ナ事ハ云ハずおまけニ面も体の形も十人並み おつと白耳義国の様な不別品揃の国ニ取てハ美人の内ニ入ル可し 先づ此人などが今度の旅の記念として永く残るだろうよ テニエの画がなんだかほしい おとつあんニ日本ニお土産ニ持て行クのに買て置うかナ もう時がねへ 松方氏へ金ヲ残して其買入方ヲ頼で置キ四時少し前の汽車で地南へ向て立つ 松方氏のおかげでミユーツとした様ニ為て居た気分がよく為たわい 又巴里へ帰たらミユーツと為るか知らん 田中の居る田舍の前を通る少し前で気車がごつんと来て動かなく為た 驚くナ驚くナ衝き当ツたんでもなんでもネへ 何ニかゞ切レたのだそうだ 一寸つくろつて田中の村の停車場迄引テ行キ此処で一とつ後の車ニ乗り移る事サ 此の位の事でも日記の種と為る ナミユールで又車ヲ替ユ 今度ハ御規則ニ従たのだ 六時十五分頃地南へ着 地南ハ白耳義の箱根也 切りへずつた様ナ山がニユーツとして居て其前ニ無洲〔ムーズ〕川が流て居る次第よ 町ハ川の右岸で山ヲ背ニして建たものさ 一番目に付くのは橋ヲ渡て直左の隅ニ在ルお寺也 塔が山と丈くらベヲして居る 山の上ニ建タらもつと高く為たろうニアハヽヽヽヽ 宿屋の数も多い様ダ オレなんかハ橋の手前の Hotel des Postes 郵便楼ト云のニ這入タ 家来共皆大礼服也 部屋の窓からノ長目ハ川が足の下山が鼻の先也 七時のめしと聞く 時間が充分に有ルから村ヲ一通り見物す 但シ寺より左の方の貧乏町の方を見た 夜食後川辺の縁がわで豆茶ヲ被聞召ナガラ松方氏へ一筆やらかす 後又町へ出で本通りヲ見物す 細工物ナド商ふ家多し 土産としてつまらぬ箱切など手ニ入る
朝ハ一人古道具屋ニ出掛ケタ 中村次郎公ニ逢ヒ島行同行ヲ約ス 午後三時四十分ブリュツセルヲ発車六時過ヂナン邑ニ着オテルデポストニ泊ル 夜箱根細工ノ買物ヲ為ス(七月二十八日)