1892(明治25) 年7月22日


 七月二十二日 金曜
 今日ハ暮村ヲ立ツト云事ニ極テ仕舞タ故朝いつもより余程早ク起タリ 五時半頃ニ始メテ目ヲ覚しつるつるやつて七時頃起出づ 昼めしハいつもの如ク穴蔵部屋の中でやつゝけ残りの骨ハ隣の犬ニ窓からなげて呉る 此の犬の野郎オレが物ヲ時々窓からなげてやるもんだからめし時ナドニオレの足音がすると窓の下ニジーツと座て居るわい 変ナものさ
 二時の汽車で立テ巴里ニ帰る 内ニ帰て居たら長田が丸毛と帰て来タ 五時半頃から川村純蔵の内へ出懸く 純蔵 其兄 此の人ニハはじめて逢タ 祖山 曾我の諸氏集り居かるたの最中 植木屋和郎公ハ台所で日本料理の用意 井の上が立つ前ニ残して置た三百仏ヲ祖山から受取る 之レで心強く為る めしの御馳走ニ為タ 味噌煮の牛実ニ甘シ 久し振で味噌ヲ食ふ 味噌ハいつ食ても結構也 十時過迄話しタ 曾我と話シ乍ラ達摩橋迄行キ引返して帰る 長田から公使館ニ届て居た日本の手紙ヲ受取ル オレが今年の共進会ではねられた事が知レタル御文也