1891(明治24) 年10月30日


 十月三十日附 グレー発信 父宛 封書
 (前略)来春共進会への画色々趣向致し候 其中一つハ森中ニ鹿の児二三匹居る画大きく描き申度折角其用意致居候 人の画よりも却而面白きかも不知ずと存し幸ニ鹿の子の売り物一匹有之候故金ハ我二十円位にて高しとハ思ヒ候得共巴里の手本を雇ふニ比すれバはるかにましなりと考へ手ニ入れ申候(二三ケ月懸て払ふ事と相談し) 其鹿の児ハ生れてからようやく七ケ月とかニ相成由にて未ダ角ハ無之候(後略)
 父上様  フオンテヌブロー鉄道局にて認 清輝拝
  御自愛専要ニ奉存候