本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年10月23日

 十月二十三日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて勉学罷在間乍憚御休神可被下候 此頃ハ当地秋の真盛りにて紅葉の色など余程稽古の為ニよろしく候 去る十八日公使館の日本人会にて三島弥太郎氏ニ出逢ヒ久しぶりの対面 始めハ全く見知り不申候 同氏ハ来月始の便船にて帰朝被為との事承り候 此の頃ハ巴里ニ日本人少き割ニ鹿児島人かなり多く先日集り候内ニ鹿児島人丈が八人 一寸盛故三島氏帰朝前ニ記念として皆寄つて写真を写す事と相談きまり候 私去る四五月頃たのまれて描き候日本女の画新聞紙ニ出候間一冊御送り申上候 其画ハ注文ニ依り可成日本画風ニ描きたるものニ御座候   先日ブレハ島の友人の許へ又々歌を一つ作り送り申候  島人ニつけよ宿せハつはくらめ都の空ニ秋は来ぬると 余附後便候也 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要ニ奉祈候

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