本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1890(明治23) 年7月18日

 七月十八日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたしハこのごろハやつぱりいなかニをりましてゑをかいてをります このごろかきかけてをりますゑハせんじつ申てあげましたおんながへやのなかでほんをよんでをるゑです これはあめのふるときかまたひがあたつてあつくてそとでゑをかくことのできないときニかくつもりでかきはじめましたところこないだぢゆうハあめばかりにてまいにちまいにちそのゑばかりかきましたけれどもあまどをしめてうすぐらいところでかくもんですからなかなかはかどらずまたなかなかできあがりませんよ まだすくなくも二十日や一月ぐらいはかゝるだろうとぞんじますよ おかねばつかりかゝつてまことにこまりますがこのごろハこないだついたかわせのおかねがございますからあんしんしてべんきようをいたしてをりますよ この十四日のひハこのふらんすのおまつりにてにつぽんでゆハヾてんちようせつとでもゆうようなおまつりですからぱりすなどにてハよるもひるもおゝさわぎをいたします(中略) ちようど十二日のひニくめさんがまいりましてそれから十三日の日ニくめさんと一しよにこゝから八りか九りばかりあるふろりと申ところニをりますともだちのあめりかじんにてぐりひんと申やつのところにあすびニいきました そのぐりひんというやつはさくねんの五月か六月ごろニ一しよニいなかニいつていたやつにてまことニかまわないよいやつです(中略) それからのりあいばしやニのりましてむらんといふところまでまいりました こゝからきしやニのりましてほんてぬぶろうと申ところニつきました(中略) それからうちにかへつてからがたいへんでした そのやどやニへやが一つきりハあいてるのハなくそれですからくめこうと一しよにねました(中略) そうしてわたしハくめさんとそのほんてぬぶろうにあるむかしのいじんのてんしさまのおすまいニなつたと申おみやをけんぶついたしました ずいぶんりつぱなものでございます けれどもこのごろはきれいなものをみつけたのかなんだかしれませんがどんなきんぎんざいくのものをみてもちつともかんしんいたしませんよ かへつてきんぎんのたくさんついているものハいやです わたしハとうとうひやくしようのうちをかりまして一さくばんからこゝにねとまりをいたしてをりましてやどやにハたゞめしくいばかりニいきます よほどこのほうがきらくでございます まづこんどハこのかげんでやめませう めでたくかしこ  母上様  新太  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

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