1887(明治20) 年5月13日


 五月十三日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)このごろはゑのがつこうでしけんがございます せつかくひとにまけないようにかこうとおもつてほねをおつてをりますけれでもほうりつのがつこうにもいかなくちやならないもんですからじゆうぶんなことはできません こまつたものです ゑのせんせいはしじゆうていねいにしてくれます またわたしのけいこがすこしいつたとゆつてよろこんでおりますからごあんしんくださいまし まあなにしろちよつとひとゝをりにかけるようになるのはすくなくとも四ねんばかりはかゝります わたしがゑのけいこをはじめてからもうやがてまる一ねんになります はやいものです
 この二十日ごろににつぽんへおかへりなさるごうださんといふひとがこないだわたしのしやしんをうつしてくれましたからおくつてあげます ずいぶんよくにております まだよくはつきりとうつたのが二三まいありましたけれどもべるじくといふきよねんあすびにいつたくにのともだちやまたあめりかのともだちなんどにおくつてしまいました たつた三まいだけです(後略)
 母上様 ぶじ  新太拝
 (後略)

同日の「久米圭一郎日記」より
De 9h à midi j’ai été à l’atelier. 8h1/2 je suis allé voir Hayashi et je suis rentré à 1h passée.

(和訳)五月十三日 金曜日
九時より正午までアトリエにいる。八時半に林に会いに行き、一時過ぎに帰る。

5/13 Vendredi