本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1887(明治20) 年6月3日

 六月三日附 パリ発信 父宛 封書 四月二十二日附ケノ御手紙去月三十日相達し難有奉拝読候 皆々様御揃益御安康之由奉大賀候 次ニ私事至極元気にて勉学罷在候間御休心可被下候 去二十八日より三日間祭日にて休暇を得候ニ付当地留学藤島了穏 久米桂一郎の二氏とフヲンテヌブローと申仏国中にて名高き景色のよき地ニ泊りがけにて出掛ケ月曜日即チ三十日の夜十二時頃に帰宅仕候 さすがに名高キ所だけ景色もよく岩石の間ヲ歩する時ハ日本の山の中でも歩く様な心地致し候 只此ノ山に一筋の滝も細キ事糸の様なる流れもなきのが日本の山水ニ比して申分のある所に御座候 只二日の滞在にて非常に愉快を覚エ申候 道程ハ此ノ巴府より気車にて一時十五分計り 近さハ近しなにしろ結構な所に御座候 金銀尽しの御殿ヲ拝見するよりもフヲンテヌブローノ如キ山の中を歩き廻ル方ガ愉快百倍ト存候 頓首  清輝拝 父上様 御自愛専要奉祈候〔図 写生帖より〕

1887(明治20) 年6月24日

 六月二十四日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)やつぱいまいじつゑのけいこをいたしておりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし このまへのにちようびにはくめさんと一しよにゑのせんせいのうちにあすびにいきましてごちそうになりました いつもしんせつにしてくれます ことしのなつやすみにもきよねんのやうにすこしたびをしようかとおもつてをりましたが なつのきものを一つつくりそれからほうりつのせんせいにまいつき百ふらんにつぽんのおかねで二十五六えんばかりつゝはらうもんですからさきへさきへとすこしづゝつかいこみそれゆゑおかねがすくなくなりました このあんばいではとてもたびなどわできません こまつたものです よいびんのときになにかおくつてくださいますときにはしなかずはすくなくてもすこしかねめのものをおくつてくださいまし そうするとこちらでせわになるひとやまたこんいにするひとなどにおくりものをいたします(中略)わたしのゑのせんせいはきんしやなんどがたくさんはいつてぴかぴかしたのはきらいです いろあいはなりたけじみないろがすきにてぎたぎたしいのはきらいです それゆえいまできるあたらしいきれよりもふるいきれのほうがいろもよくきれもよいとゆつております(後略) 母上様 ぶじ  新太拝

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