本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1887(明治20) 年5月13日

 五月十三日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)このごろはゑのがつこうでしけんがございます せつかくひとにまけないようにかこうとおもつてほねをおつてをりますけれでもほうりつのがつこうにもいかなくちやならないもんですからじゆうぶんなことはできません こまつたものです ゑのせんせいはしじゆうていねいにしてくれます またわたしのけいこがすこしいつたとゆつてよろこんでおりますからごあんしんくださいまし まあなにしろちよつとひとゝをりにかけるようになるのはすくなくとも四ねんばかりはかゝります わたしがゑのけいこをはじめてからもうやがてまる一ねんになります はやいものです この二十日ごろににつぽんへおかへりなさるごうださんといふひとがこないだわたしのしやしんをうつしてくれましたからおくつてあげます ずいぶんよくにております まだよくはつきりとうつたのが二三まいありましたけれどもべるじくといふきよねんあすびにいつたくにのともだちやまたあめりかのともだちなんどにおくつてしまいました たつた三まいだけです(後略) 母上様 ぶじ  新太拝 (後略)

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