本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1887(明治20) 年5月26日

 五月二十六日附 パリ発信 父宛 封書 (前略)先日ノ歌ト同ジ題にて公園地の春雨  春雨の色知らざりし今日迄は若葉のしづく緑なりけり 随分ごまかし故御解りにくき事と奉存候 画学一心ニ稽古罷在間御休神可被下候 前便より合田清 山本信義 林忠正の三氏西郷氏一行ト帰京せられ候 合田氏に画数葉相頼み置き候ニ付多分内へ持ち来らる可く其節直左右等委細御聞取リ被下度候 私一挙両得ノ策ニテ此ノ三年間法律ヲ本トし傍ラ画ヲ学ヒ三年後即チ法律校卒業後ハ専ラ画ヲ学ン心得ニテ法律学ヲ相始メ申候得共画学とても遊ひ半分ニ稽古する様な事ニてハ兎ても進歩ハ覚束なく去りとて専ラ之レニ力ヲ尽ス時ハ法律学校ヲ卒業するなどハ至而難キ事ニ御座候 私事ハ画ヲ学ンデ人と為ラン覚悟に御座候故専ラ力ヲ此ノ業ニ尽ス方当然ト被存申候 尤モ法律の方ハ三年卒業ト云期御座候得共画学ノ方ハ卒業ノ期などゝ云ものハ無御座候 即チ終身ノ業ニ御座候 法律大学校ヲ打チ棄てゝ画学ヲ学ブト申時ハ随分不同意ヲ唱る人も多かる可く候得共人は人我レハ我レニテ人のそしりをおそれ只名の為メニ自分ノ性質ニモ合ハザル業ヲ修メ千金丹ノ如ク毒にもならず薬にもならず一生平々凡々にて過す程愚かなる事ハあるまじく候 何にしろ私ハ画学と共に死する心得に御座候間御休神可被下候 画学教師深切ニ致し呉れ候ニ付甚ダ仕合セニ御座候 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要奉祈候 皆々様ヘ可然御伝声奉願上候

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