1904(明治37) 年12月31日 Saturday


十二月三十一日 晴午後曇

小父さんは早飯で狩に出掛ける。跡は四人。朝飯後厄払ひを始める。直の厄払ひは菊地一人であつた。午後皆んなが写生に出掛けるというので一緒に出て見たが西風が吹いて落附けるやうな場処を見出さず、裏の山脇をあちこちさまよひ遂に少々雨が落ちて来たので、其儘に宿に戻つた。佐野は河の辺にて我慢をしてかきかけたが、それも成功せずしてふるへて帰つて来た。五時過に小代雉一羽と小鳥を少々担いて帰つて来た。夜食後小父さんは疲れて早く寝てしまひ、跡は四人でブツ叩く。鋳さんは不相変敗北である。十一時頃入浴暖まつて休む。今日の新聞で松樹山占領の報を見る。又東京では昨日東郷大将の凱旋で大騒ぎであつたという。某新聞の如きは此日を東郷デーと名附けて居る。〔欄外に「夜食には牛肉を注文して大失敗であつた。」〕

明治三十七年は斯の如くにして終つた。六月以来今にも落ちると信じて居た旅順は遂に落ちる斗りになつても全く落ちるに至らず年は暮れてしまつた。勿論歳月は人為の目割りであつて何も新年となつて改まる事はない。人の生活に境目のあるべき筈はなければ此日記も紙数の残る限り続けるのである。そこで是からは、

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例)「1904/12/31 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/872431.html(閲覧日 2024-04-29)