1904(明治37) 年12月29日

朝九時半和田来訪。流用金殆んと無条件の消却を承諾す。十時より宮城及青山御所年末祝儀に出掛けた。午後西ノ久保でビスケットを買つて田中氏へお歳暮に行く。丁度竹野老人と執行の細君とが来て居る所で暫時話して帰る。菊地が五時までに来て同行する約束で支度をして待つたが来らず。段々時間が迫つたので終に佐野の処に出掛け二人で出立する。山門前より街鉄の車に乗り七時前に霊岸島に行つた。小代及磯ケ谷兄弟は既に来りて待合して居た。マダ時間があるので近所の蕎麦屋で腹をこしらへ七時半少し廻つた頃にはしけに乗込み石川島の岸にかゝつて居る伊豆行の船に移る。乗客は随分多数舳の左側の棚のやうな処に陣取る。小父さんは犬の世話で中々手間取る。凡八時半か九時頃になつてソロソロ動き出した。寒天で外には出られず乗り込んだ儘でジツトして居た。隣には伊東の者だという商人と大島に帰る書生とが話をして居る。頭を伸せば船側につかへる足を出せば手摺りの外にブラ下がるという究屈な場処で眠らんとするも睡られずウトウトとして一夜を過した。唯人ごみのために暖かであるのと海が至極静穏なるとは大に仕合せであつた。

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