1904(明治37) 年12月4日

今朝伊東で漸く繃帯が取れて清々する。午後上野精養軒で東洋写真会をやるというので審査を頼まれて居るから正直に二時に出掛けた所がまだ陳列の支度中で仕方がない。団子坂の長原の家に廻り藤島に金を渡してくれる事を話し、後此頃手に入つたという師宣の板画及び画本類を色々見た。中々立派なのがある。英山其他デカタンの錦絵を集めるという趣向は一寸面白い考に相違ない。暫らくして後精養軒に行つて見たら、今度は人が集まつて居た。審査員では江守と川端とが来て居る。相談の上二点を撰定する。今日は玉章爺昔し油絵を稽古した時分の事を色々話しかけた。兎に角頑固一点張りなところは可愛らしい。点燈後黒田もやつて来て無理やりに食卓に就かした。同じ喰倒しをやるのなら仲間があつた方がイヽのだ。食卓の向に座したのは東野とかいう男で今日二等賞を取つた金持らしい風の人で色々写真の話をした。食後は活動写真の余興は面白かろうと思つて来たのであつたが矢張り商売物の偽せ物でいやになる。併し種類は非常に沢山であつた。黒田の内からは中勝のお伴で太陽がやつて来た。帰りがけ太陽がパチに一度入りたいとの話があつたからいつでもおいでなさいといつて置いた。実の所はオレのファンムを見たい好奇心があるのだと思つた。三橋の処で黒田と分れ自転車で十時過に帰宅す。

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