1904(明治37) 年12月15日

今日も一ツ橋から上野に廻る。学校の帰りは黒田と一緒になる。電燈会社で電柱の旧物があるから会で建築をせる時の用意に出来る丈買入れて置いてはどうだろうと思ふと話す。大きいのは高三十尺もあるそうだ。直段は一本一円何十銭とかいつた。併し之れは大に考へ物であろうと思はれる。広小路でぬかるみの中に立つて永い間電車の来るのを待ちやつと三田行が出てこれに乗込む。黒田とは日比谷で分れ芝で降り、五時過帰宅す。六時比糸川正鉄来訪、一昨日上海より帰京したとの事で色々彼地の実験談をなす。油絵展覧会は目下露艦の水平上陸して乱暴をやるので見合せたるも充分望みはある故追て時機を見て再ひ渡航するとの事。上海商人の風習及支那人の外に出る習慣ある事等の着眼は確かに当つて居るやうである。一時間足らず話して帰つた。八時高商の学生熊崎良仏語の稽古に来る。先日からの約束に依る。十時頃まで話す。

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