1904(明治37) 年12月21日

今朝もむだ足と知りつゝ一ツ橋に出懸けたが専攻部も総欠席で少々火鉢にあたつて上野に廻る。モー此学校に来るのも今日限りのやうなもんであるのにお手当の事は何とも聞かないのは少々困つた事である。併し此間の校長の約束もあるから何とかしてくれるだろふとは思ふがマサカ此上催促も出来ず閉口。美術学校で電話をかけて早稲田の会合を此土曜日と取きめた。今日解剖最終講義骨盤靭帯に至る。夜こまと神田の年の市を見に行く。今夜は十五日夜の月で余り寒くもなく上等である。併し市は電車の為に追出されて至極不景気であつた。餅網を一つ買つた丈で九時過に帰宅す。

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