1904(明治37) 年12月30日

未明に熱海に着。はしけを待ち一時間余浪にゆられて待つて居るのは余りいゝ心持ではなかつた。六時間半頃に漸く発船し網代にて又々手間取り八時半頃に伊東に着いた。松原行のはしけに乗り無事着岸、佐野が聞いて来た元猪々戸の武智という温泉宿を尋ねて行き此家に投宿。至極古ぼけた汚ない処であるが相客の少ないのは先々仕合せ。早速入浴したが湯場は広くてこみ合はないから極上等である。食事後小父さんが早速近処を探検に出懸けるというので一同之に随行する。前の田圃で忽ち鶉が一羽飛び出したのを仕留めたのは中々のお手際であつた。河岸の辺を歩して新道を昇り山手の方を一ト廻りしたが別に獲物はなく蜜柑畑のある暖かな処まで行つて引返し下たの道に出る処で第二の鶉が取れた。是れ丈の散歩に二ツの鳥が取れたのは先々上首尾と祝して二時頃に宿に帰る。工学士の滋賀という人が同じ家に泊つて居て佐野に挨拶に来り後にも時々話しに来た。同氏は工業学校に出て居るとの事。同行の筈であつた菊地は昨日小代に手紙をやつて今日汽車で来るというので国府津の船の来るのを待つために、四時頃から磯的及佐野と共に伊東の船著場に迎へに行つた処が中々船は見へない。五時過になつても来ないので事務所に手紙を残して引返す。西風がビユービユー吹いて溜らない。駆け足で帰つて来た。宿で晩飯をしまつた頃に菊地が着いて来た。今日は歳暮で荷物が多いので二時間程遅くなつたという事。併し先々是れで約束の人数が揃つて大に勢が出る。食後少々話して後今朝の疲労があるので九時過に寝る。

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