本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1918(大正7) 年2月19日

 二月十九日 火 押川君ノ縊死シタル記事ニテ今朝ノ各新聞紙ハ其半面ヲ充シタリ 弔慰ノ為午前十一時ヨリ自動車ニテ目黒長者丸ノ邸ヲ訪ネ午後一時辞去ス 亦下六番町ノ吉田邸ヘモ悔ニ行ケリ 三時過久米君入来 四時頃中村君来訪 小代君ト電話ニテ語レリ 是レニテ夜ニ入リ晩餐後小川町事務所ニ開キタル国民美術協会ノ評議員会ニ出席セリ 来ル五月ノ展覧会ニ関スル件数々決議セラレシガ其中迷惑ナルハ展覧会ノ委員長ニナレト云フ一事ナリ 幾分カ又忙シサヲ増スコトナルベシ

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