九月十二日附 パリ発信 母宛 封書 みなみなさまおんそろひますますごきげんよくいられられ候はづおんめでたくぞんじあげまいらせ候 わたくしハいつもあいかわらずだいげんきにてこの一しゆうかんほどまへニぱりすニかへつてまいりました これハまだかへりきりニかへつたのでハございません いなかであんまりおかねがいりますもんですからこちらニかへつてまいりましたのです またくめさんのいつておいでなさるいなかハやすいそうですからそこニいこうかともおもいましたがなかなかとをいところにてきしやだいがかたみちでにつぽんのおかねにいたしまして五ゑんのよかかりますからこのたびもやめてしましました もうなにしろおかねがすこしになつてしまいましたからよつぽどけんやくをしなけれバなりませんよ こんげつぢゆうはぱりすでくらすつもりでございます そうしてらいげつのはじめニまたいなかにいきましてせつかくかきかけてをきましたゑのしびをとるつもりでございます こゝでハあさのうちはせんのころかきかけてをきましたゑをあつちこつちつくじりましておひるごハはくぶつくわんニまいりましてゑをかきます まづこれであさのごつとおきからゆうがたのごじごろまでハなニかいたしてべんきようをいたしますからごあんしんくださいまし(後略) 母上様 新太拝
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
八月十三日 金 晴 紅葉山ニ出仕ス 小川氏モ来レリ 四時ヨリ画室ニ入リ松侯肖像画ノ勲章ノ部ヲ描ク 本日樹陰図ヲ小川写真所ニテ撮影ス