六月二十一日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)がつこうのほうももう一しゆうかんにておやすみになりますからそうしたらまたいなかにでかけましてすこしべんきようしようとおもひます 八月か九月にハおかねのつごうしだいでことしもまたべるじつくへいつてなつやすみをしようかとせつかくかんがへてたのしみにしてをります 一どべるじつくへいきつけましたらなんだかまいとしいきたいようなこゝろもちがいたします それといふのもまつがたさんだのなんだのいろいろしつたしよせいのしがたくさんをりそのうへばんはるとらんさんのひとたちがたいへんしんせつにしてくれまたうゑべるさんといふひとのうちなどへハいつでもかつてなときにあそびにゆきまことににつぽんへでもかへつたようなこゝろもちがいたしますからのことです またこのごろハかわぢさんもべるじつくへいつてをります たゞへいこうするのハばんはるとらんさんのうちへでもとまりにいつてをりますといなかにをるときのやうにわがまゝかつてなようすをしてをることができないのです なんにもしやれるにハおよびませんけれどもひとなみのようすをしてをらなけれバなりませんよ しかしまづさいわいなことにハばんはるとらんさんのうちのひとたちもたゞこぎれいにしてをるだけにてけつしてしやれてハをりません さてわたくしがいなかにをるときのようすハこのとうりです〔図〕 まさかりつぱなひとのうちにやつかいにでもなつてをるとこんなようすハできませんよ こまつたものです(後略) 母上様 新太拝
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
八月三十日 月 晴 (鎌倉) 午後小川氏御写真場ヨリ電話ニテ略内定ニ至タル旨ヲ通告セラル 五時二十一分新橋発照子同伴奏笙軒ニ入ル