1891(明治24) 年5月6日


 五月六日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)このまへのしゆうかんのげつようびにくめさんと一しよニいなかからかへつてまいりましてからハがつこうでたつた一どゑをかいたばかりでなまけてをります まるでなつやすみニでもなつたようなあんばいです それといふのもゑのはくらんくわいがはじまりましてそのかいぎようしきニいくやらまたぎんこうにおかねをとりニいくやら しやくせんをはらうやら こうしくわんニおかねをもつていつてあづけるやら それからまたにつぽんのゑをかいてくれとたのまれたのがありましたからそれをかいてもつていつてやるやらなにやらかやらにてなかなかいそがしく一にちたち二かたちしてとうとうまるで一しゆうかんあすんでしまいました どうもこんなことでハまことニいけません しかしもうたいていつまらないめんどくさいようじハすんでしまいましたからこれからまたいなかニひつこんでかきかけてをいたをんながよなべをしてをるゑなんどをかこうとおもつてをります
 くめもきのふぼあにゆびるといふいなかにたつていつてしまいました たつたひとりニなつてまことにさみしいことです それでもう一ときもはやくいなかニひつこみたくなりました いなかでハしじゆうひとりをりつけたもんですからひとりをつてもそんなニさみしいことハございませんがこのぱりすでひとりニなりぽかんとしてをるのハまことニいやです それでてほんでもやとつてまたなニかうちでかきはじめようかとおもひましたがまづこれもとうぶんおやめニしてとうとうまたいなかにひつこむことゝいたしました あしたのあさの九じごろのきしやでたつていきますつもりです(後略)
 母上様  新太拝