本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年4月2日

 四月二日附 グレー発信 父宛 封書 二月十八日附母上様よりの御手紙慥ニ相届難有拝読仕候 皆々様御揃益御安康之由奉大賀候 次ニ私事至極元気にて此の週間も亦田舍にて有暮し申候 五六日前一寸巴里へ出候時教師ニ面会仕候処私の画ハ共進会の方にて已ニ検査ずみニ相成油画二枚の内一枚丈ハ陳列品中へ加へらるゝ様都合相成候と申事ニ御座候 先づ之レにて一寸学校の試験ニ及第したる様な心地仕候 一枚にても受取られて仕合の儀ニ御座候 御休神被下度奉願上候 当地の共進会へ油画を出品せしハ日本人にてハ私三人目ニ御座候 尚一層憤発仕来年ハ今少シ上出来の者を出し呉んと折角工夫罷在候 余附後便候 早々 以上 父上様  清輝拝  御自愛専要ニ奉祈候

1891(明治24) 年4月24日

 四月二十四日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)つぎニわたくしこといつもあいかわらずだいげんきにてやつぱりいなかにてべんきようをいたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし らいげつのはじめからきようしんくわいがはじまりますからこの二三日のうちニぱりすニかへつていきませうとかんがへてをります そうしてらいげつぢうハことニよつたらぱりすでべんきようしようかとおもひますがまだしつかりとハきめませんよ こないだぢうハしじゆうおてんきがわるくそとでべんきようをすることなどハちつともできませんでしたがこのごろようやくおてんきがなをりはななんどもすこしづゝさきはじめました(中略) たつたいまうんどうをいたしましたときはたけのすみのやぶのなかニさくらのはながさいてをりましたのをみつけましたからすこしばかりつまみきつてもつてかへりました めづらしいせいようのいなかのさくらですからこのてがみのなかニいれておくつてあげます こちらのさくらハみんなこんなやまざくらみたようなはなです こんどハまづこれぎり めでたかしく 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

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