本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年5月22日

 五月二十二日附 パリ発信 母宛 封書 またぱりすへちよつとかへつてまいりました そのおんちにてハみなみなさまおんかわりなくおげんきのはづおんめでたくそんじあげまいらせ候 わたくしこともいつもあいかわらずげんきでございますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし このごろハやつぱりまいにちてんきがわるくなかなかそとなどでべんきようをすることなどはできませんしそれからこのごろハまたもうひとつゑのはくらんくわいができましたからそれをみるためかれこれニちよつとこゝにかへつてまいりましたのです あしたハせんせいのうちにいつてかいてきたゑなんどをみてもらいそれからあさつてハまたいなかへかへつていつてべんきようをするつもりです このごろハもうそちらでハもうよほどおあつくなりましたでしようとぞんじます かまくらなどハさぞよいことでしようよ こないだあるひとニにつぽんのゑをかいてくれとたのまれまして七八まいちいさなゑをかいてやりました そのゑハゑいりしんぶんのようなしんぶんのゑニでるそうです もしそのしんぶんがでましたらかつておくつてあげませうよ こないだにつぽんでじゆんさがろしやのてんしのむすこニきりつけてけがをさしたといふことがしれましてしんぶんニもいろいろなことをときどきだします そのじゆんさがきりかゝつたときのゑだとゆつてきみようなおかしなゑをしんぶんニだしましたからおくつてあげます まことニばかなゑです(中略) いなかでわたしのてほんニなつてくれたをんなのやつニしんもつをしてやるのニなにをやろうかとおもつてかんがへてみましたがなんニもくれるようなものハありません それからだんだんかんがえてみましたところがそのやつハまだとけいをもつてをりませんからとけいをひとつかつてやろうというかんがへがでました さいわいこんどにつぽんのゑをかいたのでおかねがすこしとれましたからこれさいわいとそのおかねでちいさなとけいをひとつかつてやりましたらおゝよろこびをいたしましたよ まづこんどハこれぎり めでたくかしく 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

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