本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1889(明治22) 年8月8日

 八月八日附 ボアニュビル発信 母宛 封書 (前略)わたくしこといつもながらげんきなことにてあしたハこのいなかをたちましてぱりすへかへりそうして二三日のうちにべるじつくのばんはるとらんさんのうちへゆくつもりでございます それからまたおらんだへもゆくつもりでございます くわしいことハこのつぎのびんからゆつてあげます わたしハおかねハたびなどしていばつてあるくほどもつてハをりませんけれどもいつごつさつごつひとさまのごやつかいになつてあるくもんですからしやわせでございます しよせいのうちハひとにやつかいになるのもいたしかたハございませんよ こないだ父上様ならびニあなたさまよりのくわしきおてがみをちようだいいたしましてまことにまことにあんしんいたしました じつは父上様からおかねをおくつてくださることがならないようニなつたらどうしたものだろうかとしんぱいをしてをりましたけれどもこんどのおてがみでとんとあんしんいたしました 父上様へもさようもうしあげてくださいまし これからおらんだにいきましたらなだかいひとのかいたゑをうつすつもりでございます こんどハまづこれぎり めでたくかしく 母上様  新太より  こんにちかぎりでこのいなかをたつつもりなのにあるおんなのこのかほをかきかけたのなどがまだかきあがらすそれゆへこんにちなかなかいそがしいことでございます

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