本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1889(明治22) 年9月12日

 九月十二日附 ハーグ発信 母宛 封書 (前略)わたくしことハいつもながらだいげんきにてこのごろハをらんだのこうしくわんのしまむらさんといふおひとのうちニごやつかいニなつてをりましてむかしのひとのかいたなだかいゑをうつしてをります どうぞどうぞごあんしんくださいまし 十月の十日ごろニぱりすへかへるつもりでございます そのとちゆうでぶりゆくせると申ところニちよつとよりましてばんはるとらんさんのむすこと一しよニぱりすへかへるつもりです バんはるとらんさんのむすこハぱりすのはくらんくわいのけんぶつニくるのです そうしてわたしのをるきたないうちにきてとまるつもりです(中略) こゝのしまむらさんにハまいとしごやつかいニなります まいにちりつぱなにつぽんりようりのごちそうニてまことニとのさまニでもなつたようなあんばいです(中略) わたしがこんどうつすゑはひとのかほです こんなふうのです〔図〕 これハもうあしたぐらいはかきとつてしましますからそうしたらまたほかのをかくつもりです(後略) 母上様  新太

1889(明治22) 年9月19日

 九月十九日附 ハーグ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事至極元気未だニ海牙府代理公使島村氏方へ食客仕居候 御休神可被下候 当年も昨年の如く当国千六百年代の名画の写しなど仕勉学罷在候 已ニランブラント申和蘭国古代の画家中の第一と云程の人の画きたる肖像一枚写し上け候処去年写し候者より少しく出来よろしく島村氏もよろこばれ候事ニ御座候 当地気候已ニ秋の心地致し候 夜食後散歩の時などハ外套を被申候 去る二日ブランケンベルク海水浴場の地を去り当地へ来り此頃もはや公園地などの木の葉少しく赤みを帯居候へバ夏より急ニ秋ニ入りたる様子有之候 即ち例のごまかし歌を読み申候 御笑草として左ニ記し申候  世の中の心そつらしもみちはの秋より先きニうつろひニける 来月十日頃迄ハ当地ニ居りそれよりブリユクセル府へ出で友人バンハルトランを伴ひ巴里へ帰る積ニ御座候 当冬ハ学校の稽古の暇ニなにか少しく念を入れて画きてみたき者と考居申候(後略) 父上様  清輝

1889(明治22) 年9月27日

 九月二十七日附 ハーグ発信 母宛 封書 (前略)わたくしこといつもあいかわらずだいげんきにてまだをらんだニをりますけれどももうながいことハございません らいげつの一日か二日にはこゝをたつていこうとぞんじます こゝのごていすのしまむらさんといふおかたハけさほどありすがわのみやさまのおともをしてたびニおたちなさいましたからなかなかさみしきことニなりました それゆへもうぱりすのほうへかへつていこうかとぞんじますけれどもあとげつばんはるとらんさんのうちニをるころニすこしばかりもつてをつたおかねをつかつてしまつたのでこゝニきてハ一もんなしとなりどうすることもできないのです けれどもらいげつのはじめニハまたらいげつぶんのおかねがもらわれますからそのおかねをぱりすからおくつてもらつたらそのおかねでぱりすへかへつていこうとぞんじます まづそれまでハしまむらさんハおるすニなりましたけれどもやつぱりこゝのうちニごやつかいになつてをるつもりです(中略) このしまむらさんにはまいとしまいとしおせハニなります ことしもまる一とつきこゝにをります(後略) 母上様

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