本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1885(明治18) 年3月27日

 三月二十七日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)さてそちらにてはおいおいとおはなみのじせつになるとかんがへますがせつぺせけんにでておあるきなさいまし うちにひつこんでばかりおいでなさつておちやとおたばこばかりではどうもあんまりよろしくありますまいとかんがへます こんなあんばいにばしやはばしやひとはひとにてそれぞれみんなせけんにでてあるきますよ それですからげんきげんき こんなばしやがぞろぞろとつながつてとうりますからもしにつぽんのようにひとだのうまだの一しよにおなじみちをあつくときにはけがにんのありどうしでしよう〔図〕 こんどはあまりみじかうございますけれどもこれぎりにいたします めでたしかしく 母上様 ぶじ  清輝

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