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  • 134 years年前の今日の日記

     六月十六日 火曜 (独仏国境旅行日記) 今夜八時ニ部屋を出でロベルと共ニ朝飯を食ふ 後ロベルを送り同人の門口迄行く 奴も今日より何処へか旅立をするとの事也 今日ハ此の地の市日の由にて大通りハ非常な賑ひ也 一番風が変て居て目ニ付きたるハ玉子やボール(牛の乳のねつた様なもの也 英語でバタと云)を売る者が道ばたニ狭きばんこをならべてそれニ腰を掛ケ自分が売物ニなつた様ニ行列して居る様子也 男も其中ニまじり居たれど大抵皆女也 此の近在の者共也と云 皆独り独りニ手さげ籠をひざの上ニのせて居る 其中ニ玉子など入れて居る籠のふたをあけて其中ニ両手を入れて居る者多し 僅か七人や八人こう云様ニしてならんで居るのなら左程目ニも立つまいが何十人とザラーリとして居るのだから中々奇だ 扨てロベルに別れてから町の後の小道の処を散歩し後鉄道の線路の先きの方から山ニ登る 昨日道案内をして呉れた若い男が此の山道のわきニあの政治家仲間で名高いジユルフエリ親爺の内が有ると知らして呉れた 多分此の家位が奴の家だろうと久米公と話して通た 山の頂上迄登るニは一寸汗が出たぞ 登る際中ニ雨が降而来た 実に大喜びで久米公と早速雨合羽を被た 切角立つ前ニ巴里で買て来た此の雨合羽を此の儘で持て帰つてハ残念だと思て居たがとうとう今日始めてぬらし安心した 山から下つて町役所の内ニ在る図書館ニ行く 昨夜飯の時其館長をして居る若き時は陸軍の大尉だつた七十近い老人ニロベルが引合して呉れ其上で図書館ニ在る珍らしき古き絵入の経文を拙者等ニ見せて呉れる様ニ其老人ニ頼た 即ち今朝十一時ニ見ニ行く事と其時約束をして置たから出懸て行たのだ ぢいさんが直ニ出て来て其お経を見せた 中々立派な書物だ そうして余程大きなもんだ なんでも開た時ニハ幅が三尺も有るだろうよ 十四世紀のもの也と云 十一時の約束だつたのニ山登りニひまがかゝり十一時半頃ニ行たもんだからぢきニ十二時近くなつた いゝかげんに其書物を見て後図書館内を一廻りし其大尉先生も共ニめし屋ニ帰る 此の時雨が強く降る ぢいさん傘なく雨ニぬれて平気也 拙者の合羽を被ないかと云て見たがいやだと辞つた さすがニ軍人であつた丈ハ有るぞ 昼後時が充分ニ有り別ニ見物する処も無いので珈琲屋に行きゆつくりときめ白耳義の田中 巴里の川崎 ボアニユビルのビルド等ニやる手紙をかく 後宿屋ニ帰り包をつくり又かみさんニ買入方を頼で置た当地名物の臭い味噌(之レハ仏語でフロマジユ英語でチイスと云ふ牛の乳ニテ製するものニして拙者等ハ味噌ト名く 沢庵と云てもヨシ)の折の蓋ニ番地をかき直ニ鉄道で送り出ス事が出来る様ニした 之レハ皆此の宿屋のかみさんの力だ 中々深切な尼也 其宿屋の名ハベスクリユグと云 其臭味噌ハ直ニ鉄道からフオンテヌブローの湯屋の三介ニ送てやつた それからしばらく散歩し昨日の滝の処ニ行て景色など写す ちようどいゝ時分ニなつてから引きかへし宿屋ニ立寄り亭主夫婦ニ別れをつげ包を取て停車場ニ行く 五時半の気車でゼラルメへ向て発ス 途中ラブリヌニテ車を替ゆ ゼラルメに七時過に着し停車場の前なるシヨンと云奴が持て居る宿屋ニ入る 亭主ハ女ニテ中々以テさばけためす也 宿屋の体裁ハ海水浴を一寸気取て居る 客人も二十人計り有り 皆田舍の城下の者の様な奴等で都風を気取りそこなつた変な者多シ いやニなるぜ 部屋の清潔な事ハ感心々々 新しい広い寝台ハ余程御意ニ叶た 夜食後湖水の縁など一寸散歩して九時半頃帰る 今夜ハ又久米と一緒ニねる 此の宿屋ハロベルが知らして呉れたのだ〔図 写生帳より〕

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1922(大正11) 年2月4日


 二月四日 土 晴
 徳川公歓迎会帝国ホテル五時半会費金十円 本会議小笠原伯 青木子同道出席 久松伯邸ジヨツフル元帥歓迎 中村君死亡

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