十月五日附 パリ 母宛 封書 (前略)わたくしこといつもながら大げんきにてさる二日のばんにぶりゆくせると申ところからかへつてまいりました ことしのなつはまことによいたのしみをいたしました ぶらんけんべるくのばんはるとらんさんに八月一ぱいごやつかいさまになりそれから九月の二日の日にもうぱりすにかへるつもりでぶりゆくせるまでかへつてまいりました ところがまつがたさんたちが一しよにおらんだまでいかないかとおつしやることにてきゆうにおもいたち三日のひのひるごの二じごろのきしやにてまつがたさん なかむらさん たなかさんと四にんづれにておらんだへまいりました そういたしましておらんだのこうしくわんのしまむらさんと申おかたのおかげでこうしくわんにねとまりをいたしまた ごぜんもごちそうになつておりました まいにちおひるもばんもにつぽんりようりにてにつぽんへかへつてをるようなこゝろもちでした 九月の二十三日のひまでしまむらさんのごやつかいになつてをりました おらんだではなだかいゑを一まいうつしました そうしてかへるときにそのゑをしまむらさんにあげてきました がくにこしらへてかけてをくとゆつてをいでなさいました 二十三日からこの二日までぶりゆくせるにまつがたさんと一しよにをりました まことにおもしろいことでした このごろぶりゆくせるにはくらんくわいがございます(中略) がつこうもしあさつてからはじまるはづです そうするとまたずいぶんいそがしくなります こんどもいまゝでのようにけいこがよくいけばよいがとせつかくかんがへてをります(後略) 母上様 新太より
続きを読む »
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
二月二十日 月 午前内匠寮 皇后陛下行啓十時三十分