1894(明治27) 年12月3日


 十二月三日 (従軍日記)
 天気よし 今日ハ余程寒く為て来た 夫れが為め食堂のポワルニ火をたき始めたるニ煙筒が焼けて甲板がもへかゝつたので火消が始まると云騒ぎ 体屈な船中の事故こんな事も日暮の種と為る 五時頃ニ右と左ニ雲の様ニちよいとした陸見ゆ 右なるものハ所謂海洋島にして左のものが山東省の芝罘の後に在る高山の頂也と云 こんな小さなものハ実ハオレの目ニハ見へない 両眼鏡を借り宮様ニアスコだアスコだと云ハれて何る程と始めて分つた次第也 コレなんどハ久米公がいくらりきんだつて奴ニも見へる気遣ハねへのだ