1892(明治25) 年5月31日


 五月三十一日附 グレー発信 母宛 封書
 みなみなさまおんそろひますますごきげんよくおんくらしのはづおんめでたくぞんじあげ奉候 つぎニわたくしこといつもながらげんきにてさくばんまたまたいなかニまいりました ぱりすでハまいじつはくぶつくわんにむかしのゑをうつしニいきました そのうつしハまだすつかりすみませんがどうもどうもこのごろハおてんきがまことニよくぱりすニをるのハまことニいやですからまづそのうつしハまたのことニしていなかニきてしまいました いなかのほうハまたかくべつです これからをゝきなゑでもかこうとおもつてをります このごろのあつさハなかなかつようございます あせがでることニハまことニへいこうです くめさんも二三にちのうちニこゝのいなかニをいでなさるはづですからそうしたらはなしあいてもできておもしろかろうとぞんじます わたしハながくせいようニをりますけれどもせいようじんとはなしなんかするのハときどきハよろしゆうございますがしじうハめんどうでいやです こまつたもんです このいなかでハやどやニハまいりませんでうちでちよつとしたせいようりようりをこしらへてたべてをります これのほうがよほどけんやくニなります
 まづこの六月ぢうハこゝでくらそうとおもつてをります 七月ニなつたらまたどこかちがつたところニいきたいもんです
 父上様にハこのごろハこうがいのいゑつくりでおたのしみのよしまことニけつこうなことです せつぺおたのしみをたくさんなさるがなニよりのことゝぞんじあげます あなたさまニもなるべくおもしろいことをなさつておくらしなさいまし このせいようのめいしよやまたきれいなところを父上様やあなたさまニ一とめみせてあげとうございますよ けれどもあなたさまハふねやまたせいようりようりがおきらいですからまことニこまりますね ふねのほうハしじゆうゆれてばつかりハをりませんからよろしゆうございますがせいようのたびニにつぽんりようりばかりたべてをることハちとむづかしゆうございます ぱりすなんかでハごぜんをたいてにつぽんのとうりニしてたべることができます わたしがもうすこしゑがじようずニなつたらぜひ父上様のおともをしてせいようのたびをしたいもんだとおもつてをりますよ ずいぶんかんがへたよりもおもしろいものやめづらしいものがたくさんございます とてもげんにみなけれバはなしばかりでハわかりません まづこんどハこれぎり めでたくかしこ
 母上様  新太拝
  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

同日の「久米圭一郎日記」より
終日博物館ニ在リ午後愛ト井上ガヤツテ来タ 夜ハ籠ル五月三十一日 熱シ夕方驟雨雷鳴