本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1892(明治25) 年4月9日

 四月九日附 グレー発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事至而壮健今日迄ハ只書物など読居画の趣向など工夫罷在候のみの事にて筆を取ての勉強ハ余リ不仕候 併し此頃ハ天気殊外快晴全く夏の如きはだ持に相成花なども急ニ咲始候間二三日内ニ是非共何ニか描き始申度心組ニ御座候 共進会へ持ち出し候画不幸にして二枚共はねられ申候 戦に負勝有るが如きものとあきらめ自分ハ先々平気ニ御座候得共世間の上べのみニ気を付くる人達ニ対してハ少し肩幅狭く相成し心地ニ御座候 久米氏も私と同し事ニて気の毒の事ニ御座候 能く考へ候得ば当年の失敗ハ私ニ取リてハ却而薬ニ相成候事と被存申候 其故ハ之レが為力落どころにてハ無御座候 来年こそハ一番人の目ニ附く様ナものを描き持ち出し呉れんと云心胸ニ満ち申候 何と申ても当地ニテ画かきと称し其画ヲ以テ生活ヲ立て行程ニ相成らざれバ甲斐なき儀ニ御座候 共進会ニテ二等の賞を得何地より如何なる画ヲ持ち出しても審査官の評議をへずして陳列品ニ加へらるゝと云迄ニ相成帰朝する様なれバ此の上も無き好都合ニ御座候得共外の学問とハ違ヒ何ケ月学べバ何段ニ昇ると云様ナ訳ニハ不参候間先づ名誉かれこれの世間ニ対しての事ハ全く思ハず只自分の心任せニ描き而其画が人の気ニ入レバ徳気ニ入らざれハ夫レ迄の事と別ニ心配なく静ニ勉強するが上策と奉存候 余附後便候也 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要ニ奉祈候

1892(明治25) 年4月22日

 四月二十二日附 グレー発信 母宛 封書 一ふで申上度候 みなみなさまおんそろひますますごきげんよくおんくらしのよしおんめでたくぞんじ上度候 つぎニわたくしこといつもながらげんきにてこのごろハまたまたいなかにひきこみをりべんきようをいたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし このまへのびんから父上様へ申上ましたとうりことしのきようしんくわいニてハまことニぶしびなことニてめんもくないことでございます どうもこのつらでにつぽんへかへつていくのハいかニもざんねんでたまりませんからかへるまでのうちニぜひなニかもう一まいかいていこうとおもいせつかくほねをおつてをります(中略) わたくしももうそんなニいつまでもこゝニをるわけニハいきますまいからをそくもらいねんハかえつていきます それともまたひよいとことしのうちニかへるかもしれません なニもかもおかねしだいです くめさんハどうしてもこのあきごろニハかへつていこうとゆつてをります いまハただにつぽんからおかねがおくつてくるのをまつてをるのです わたしもくめさんと一しよにかへるようなつごうニなれバとちゆうもさみしくなくてよいがとかんがへてをります ことしのうちニかへるようニなるとたゞざんねんなのハきようしんくわいではねられたまゝでかへつていくのですからこゝろもちがわるうございます いままでこゝにをつたにつぽんじんできようしんくわいニうけとられたのハわたしのほかにふたりをりますがそのふたりのひとたちもみんな一どうけとられたばかりで二どめニははねられそのまゝでかへつてしまいました わたしもいまのまゝでかへつていけバそのひとたちとにたりよつたり そのひとたちハおかねがつゞかずニかへつていつたといふことができますがわたしハそうゆうわけでハないのですからわたしのほうがまけニなります こればつかりハかへすがへすもざんねんしごくでございます くめさんはひとりむすこのうへにおつかさんがもうよほどまへからごびようきだそうでぜひもうかへつてきてくれとおつしやるそうでこちらニじつとしていてゑをかくきニもならずどうしてもかへつていくほうがましだろうとゆつてをります いよいよことしのうちニハかへつていくニハちがひハございますまい あたしがかへりましたらご一しよニかごしまニくだりましようからたのしみニしてまつていてくださいまし こんどハまづこれぎり めでたくかしく 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

1892(明治25) 年4月29日

 四月二十九日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康奉大賀候 次ニ私事大元気ニテ相暮し居候間御休神可被下候 此頃ハ矢張不順の天気勝にて野にての稽古ハ六ケ敷候 此の十一二日前より描き掛居候女の肖像一枚昨日仕上候ニ付本日より又々十五日か二十日計の見込にて一と先都ニ引上ノ積ニ御座候 今度都にてハ卒業試験の様な心持にて日本への御土産の為当地名物の女のはだかの画一枚心に任て描き申度存候 小さな考をして居る日本の小理屈先生方へ見せて一と笑ひ仕度候 巴里にてハ社会党が大ニ流行あそここゝにて家をはねとばし負傷者も少なからざるさ、あ子ニ御座候 裁判官と警視の役人が一番のにくまれ者ニ候 五月の一日ハ毎年職人共のさわぎ廻る日故当年ハ社会党の者等が必ず何ニ事かやらかすならんと巴里の者共ハ怖れ居るとの事ニ御座候 社会のさわぎを高見からの見物一寸面白き事に御座候 早々 頓首 父上様  清輝拝 御自愛専要ニ奉願候

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