1892(明治25) 年5月10日


 五月十日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)わたくしハこのごろハやつぱりぱりすニをります あしたからはくぶつくわんニまいりましてむかしのひとのかいたゑのうつしかたをやるつもりです じつハをんなのはだかぼのゑを一とつかくつもりでてほんニなつてくれるをんななんかをたのんだりまたおゝきなきれをかつたりしてちよつとかきかけてみましたがよくよくつもつてみるとおかねがとてもたりませんのでまづとうぶんおやめニいたしました またこんどかはせがきてからこのゑをかくことゝいたしました 二三日まへニせんせいにあいニいきましていろいろことしのきようしんくわいのおはなしをうけたまわりましたらせんせいもわたしがことしことわられたことをたいそうきのどくニおもつてくださいましてずいぶんよくできてをつたのニことわられたのだからちつともちからををとすことハない たゞうんがわるかつたのだとゆつてくださることニてそうきいてみるとまたすこしハきぶんもよくなります まあすんだことハしかたがございませんからこれからなるたけべんきようしてらいねんのゑをかこうとおもつてをります いなかでひとつをゝきなのをかくつもりでそのしたごしらへをしてをきましたがこれもいまハおかねのつごうがあんまりよろしくございませんからまづまづなかいりニいたしてをきました そのほかニもう一まい一せうけんめいニちからをだしてりつぱなのをかいてみたいとかんがへてをります くめさんもおつかさんがごびようきだもんですからもうことしのうちニにつぽんへどうしてもかへるとゆつてをりましたがこないだくめさんのうちからおてがみがきておつかさんのごびようきもわるいことハわるいがまだ五六ねんのうちニどうこうというようなことハあるまいとおいしやさまがをつしやることだからせめてもう一ねんもべんきようしてからかへつてこいとゆつてきたそうにてくめさんハおゝよろこびです そのうへわたしなんかハらいねんの九月とかのまへニかへるとちようへいニとられるとか申ことです これハどうだかいろいろいふひとがありますからわかりません わたしもなんならせめてきようしんくわいでほうびをもらうぐらいニなつてからかへりとうございますがそういうわけニもいきますまいからどうしてもおそくともらいねんハまづまづかへつていくかんがへですからおたのしみニしてまつていてくださいまし(後略)
 母上様  新太拝
  せつかくおからだをおだいじニなさいまし みなさまニよろしく

同日の「久米圭一郎日記」より
朝ルーブル博物館ニ赴キ許シノ札ヲ乞ヒ午後ヨリベリニーノ肖像写シヲ始メ四時半迄ヤル五月十日