1892(明治25) 年5月10日 Tuesday 五月十日 朝ルーブル博物館ニ赴キ許シノ札ヲ乞ヒ午後ヨリベリニーノ肖像写シヲ始メ四時半迄ヤル 引用の際は、クレジットを明記ください。 例)「1892/05/10 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/870466.html(閲覧日 2025-04-28) 同日の「黒田清輝日記」より 五月十日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)わたくしハこのごろハやつぱりぱりすニをります あしたからはくぶつくわんニまいりましてむかしのひとのかいたゑのうつしかたをやるつもりです じつハをんなのはだかぼのゑを一とつかくつもりでてほんニなつてくれるをんななんかをたのんだりまたおゝきなきれをかつたりしてちよつとかきかけてみましたがよくよくつもつてみるとおかねがとてもたりませんのでまづとうぶんおやめニいたしました またこんどかはせがきてからこのゑをかくことゝいたしました 二三日まへニせんせいにあいニいきましていろいろことしのきようしんくわいのおはなしをうけたまわりましたらせんせいもわたしがことしことわられたことをたいそうきのどくニおもつてくださいましてずいぶんよくできてをつたのニことわられたのだからちつともちからををとすことハない たゞうんがわるかつたのだとゆつてくださることニてそうきいてみるとまたすこしハきぶんもよくなります まあすんだことハしかたがございませんからこれからなるたけべんきようしてらいねんのゑをかこうとおもつてをります いなかでひとつをゝきなのをかくつもりでそのしたごしらへをしてをきましたがこれもいまハおかねのつごうがあんまりよろしくございませんからまづまづなかいりニいたしてをきました そのほかニもう一まい一せうけんめいニちからをだしてりつぱなのをかいてみたいとかんがへてをります くめさんもおつかさんがごびようきだもんですからもうことしのうちニにつぽんへどうしてもかへるとゆつてをりましたがこないだくめさんのうちからおてがみがきておつかさんのごびようきもわるいことハわるいがまだ五六ねんのうちニどうこうというようなことハあるまいとおいしやさまがをつしやることだからせめてもう一ねんもべんきようしてからかへつてこいとゆつてきたそうにてくめさんハおゝよろこびです そのうへわたしなんかハらいねんの九月とかのまへニかへるとちようへいニとられるとか申ことです これハどうだかいろいろいふひとがありますからわかりません わたしもなんならせめてきようしんくわいでほうびをもらうぐらいニなつてからかへりとうございますがそういうわけニもいきますまいからどうしてもおそくともらいねんハまづまづかへつていくかんがへですからおたのしみニしてまつていてくださいまし(後略) 母上様 新太拝 せつかくおからだをおだいじニなさいまし みなさまニよろしく(五月十日附 パリ発信 母宛 封書) « 五月九日 五月十一日 メッキリ熱クナツタ »