1890(明治23) 年12月26日


 十二月二十六日附 パリ発信 父宛 封書
 十一月十八日附の御尊書慥ニ相届き拝誦仕候 御全家御揃益御安康之由奉大賀候 次ニ私事大元気にて勉強罷在候間御休神可被下候 来年にも相成候ハヾ段々帰朝の都合に致様御下命相成承知仕候 即ち其心得ニて勉学仕候積ニハ御座候得共何分今の腕前通りにて帰朝するハ残念の至に御座候 願くハ共進会ニ一二度も出品仕せめて三等の賞位ハ得て後ニ帰リ度者ニ奉存候 実ハ三等位ニてハ充分な訳ニハ無之候 二等の賞を得て始メて画かきと一寸世間の人ニ云はるゝ位の事ニ御座候 又二等賞を得候得ば其後ハ検査を受けずして毎年共進会へ出品するの権を得る事にて遠く日本などニ住ひ欧州人と肩をならべて行かんニハ第一ニ其二等賞位迄斬付け置かずバ先き先力なき事ニ御座候 併し之レハ僅一二年間位いの勉強ニて望む可き事ニハ無御座候間愈其内ニ帰朝せずハならぬと云次第ニ御座候得ば一旦帰り候上又々何とか工夫位是非一生の内ニハ其二等位迄ハ進み不申候ハでハ甲斐なき儀ニ御座候 先当分来年の共進会を楽みニ勉学仕候
 植木も已ニ馬寒港ヘハ着居候事と存候得共船会社の方よりハ未ダ何たる知らせ無之候 御送り被下候植木屋よりの受取書の写しなど教師へ示し置候 同人もよろこひ居候 今度の便より当地にながく居候加藤恒忠と申者帰朝致し候 同人ハ始メハ諸生にて後ニ公使館の書記生をつとめ居候者ニ御座候 私先々の見込なども一寸略話し置候間御聞取被下度奉願上候 私行ク行クの処実力を以て欧人とならび立行度望ニ御座候 余附後便候
 父上様  清輝拝
  御自愛専要奉祈候