本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年1月2日

 一月二日附 パリ発信 父宛 封書 謹賀新年 (中略)学校の方も昨日丈ハ休みニ相成申候 来週の始め即ち明後日頃より又々田舍ニ出懸教師の気に入候画の直し方などニ取りかゝり申度考ニ御座候 共進会ニハまだ少しはひまも御座候間今一つ別ニ新しき者を相始め可申候 当年の夏ニハ第一ニ昨年の夏一寸描始め置候婦人の立像を仕上げ仕る覚悟に御座候(後略) 父上様  清輝拝

1891(明治24) 年1月16日

 一月十六日附 グレー発信 父宛 葉書 益御安康奉大賀候 次ニ私事大元気ニて田舍ニて勉強罷在候間御休神可被下候 当年の寒さハ余程つよく私当国ニ参リ候より之レ程の寒ハ初メてニ御座候 本日も雪降リニ御座候 余附後便候 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要奉祈候

1891(明治24) 年1月23日

 一月二十三日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)ことしの寒さハいつもニないさむさでしたがこの二三日はだもちがすこしかわりましていまでハそんなニさむくなくなりましてゆきどけやしもどけでじくじくしてきたないことですがつよいさむさよりもよろしゆうございます もうすこしあたゝかニなりましたらいまよりももうちつとつめてべんきようをするかんがへでございます いまのところてハひとをたのんでゑをかくのでもへやのなかニどんどんひをたいたりまたそれでもすこしさむいといへばなニかかけてやつたりしなければならずなかなかいまのところでハおもうようニはべんきようハできまんせよ たゞまいにちなニかかいかしてをるといふくらいのことです こないだももうしてあげましたとうりよる$らんぷ$をつけておんながはりしごとをしてをるゑをいまかきかけてハをりますがまいにちそればつかりニほねをるといふわけニはいけません といふものハよるのところですからうちのなかをくらくしてあかりをつけそれをとのそとからのぞいてみてかくのですからこのさむいのニひのないところニたつていてかくのはすこしかんしんいたしませんからあたたかくなるのをまつてをります それゆへまづとうぶんハちいさなゑばつかりけいこがきニかいてをります おくつてくださいましたうゑきもせんじつたしかニとゞきました せんせいもたいそうよろこんでをりますからどうぞさよう父上様に申あげてくださいまし くさぞうしのつゞきをまたすこしばかりかきましたからおくつてあげます こんどハまずこれぎり めでたくかしく 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじニなさいまし みなさまへよろしく

1891(明治24) 年1月30日

 一月三十日附 グレー発信 父宛 封書 (前略)国会議事堂丸焼けニ相成候様先日当地之新聞ニ見ヘ申候 立派ナ議論をして世間の人を一番驚かして呉れんなど思ひ居し人達ハ随分閉口致し候事と奉存候 当地此の一週間程前より気候急ニ変り只今のところにてハ外ニて画をかき候ても余り寒さを覚エ不申候 つよき寒さのあと故少しの暖きも余程うれしく感申候事ニ御座候 二三日の内ニ学資金受取旁巴里へ出で来月中ハ学校にて勉強仕三月ニ相成候ハバ又々此の田舍ニ参り共進会への画の仕上ニ専ら力を盡す考ニ御座候 今度御送り被下候金子にて額ぶちの買入れ方など可仕候 額ぶちは殊の外金高な者にて少し見るニ足る程のものは三尺四方位にて百四五十仏ハ掛り候と申事ニ御座候 私二つ程入用ニ御座候間三百仏程ハ丸で此の方ニ取られ可申閉口の至ニ御座候(後略) 父上様  清輝拝

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