1888(明治21) 年3月9日


 三月九日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)わたくしはいつものとうり大げんきにてまいにちまいにちゑをかいてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし(中略)
 わたしと一しよにをるくめさんといふひとがいすぱにやと申くにゝはくらんくわいがあるのでそのほうにでかけていきましたからこのごろはかわぢさんとふたりぎりになりすこしさみしいようです(後略)
 母上様  新太より

同日の「久米圭一郎日記」より
Ce matin j’ai écrit une lettre à ma famille numérotant 37 et je l’ai envoyée à la poste. 4h je me suis promené de Blamblo〔Rambla〕 jusqu’au delà de Mont juich et je suis rentré à 6h.

(和訳)三月九日 金曜日
今朝、家族へ宛てた第三十七号の手紙を書き、投函する。四時にランブラからモンジュイックまで散歩し、六時に戻る。

3/9 Vendredi