1887(明治20) 年10月21日


 十月二十一日附 パリ発信 父宛 封書
 九月三日九月十三日之御手紙慥ニ相届キ謹而拝誦仕候処御尊公様御始メ皆々様御揃益御安康之由奉大賀候 次ニ私事至極壮健毎日画学勉強罷在候間御休神可被下候 本日公使館ニ於テ原敬様ニ御面会仕候処法律学校の事ニ付御話し有之候故平常の志を述るニよき機会ト存し私儀ハ法律学士などニなる気ハさらに無御座画学ヲ以テ一身ヲ立んと存候と申述候処原様の仰にハ近頃理屈の世の中 子ノ如キハ画の名人トナルニモ及バヌ事矢張法律を学ぶ方身の為メニよろしからん 且ツ画がすきなりと云事なれバ法律学士の免状を得て後画の稽古をするも遅くハあるまじ云々 右当時官吏等世間なみの意見ト奉存候 併し私ハ感服不仕候 第一 昨年法律学を始メタル所以ハ只精神ヲ養ハンガ為メニシテナニモ法律ヲ以テ一身ヲ立テンが為メニハ非仕ザリシ也 而今年ハ之ヲ断然打棄てゝ顧みすト云訳ハ画学ノ為メニハ法律学ノ要用ナラザルヲ悟リタル故ニ御座候 第二 私ノ画ヲ学ぶと云ハ楽みニ非ズ 之レヲ以テ一生ヲ終ラントスル者ニ候得は今三四年モ此ノ役ニ立タザル法律ノ為メニ打ち棄て而後隱居仕事ノ様ニ画ヲ学ぶなどと云様なまのろき事ハ出来ぬ事ニ御座候 第三 三四十円取りの役人ト為リ肉ヤ魚モ人なみに食ふ事が出来世間ノ人よりも一寸尊敬さるゝ事などをよろこぶ人の為メニハ学位などを得ルも至而要用なれども私の如ク人がよく云ふが悪ク云フガ又貧窮しようが金持になろうが如此事ニハ心ヲ動かすに足ラズ只画の為メニ力ヲ盡す心得ノ者ニハ法律学士などになる必要ハ少しもなき事ニ御座候 以上私ノ考ヲ略原氏ニモ申上ケ度存候得共同氏等ハ全ク反対ノ精神を有せらるゝ事の様に相見ヘ候付無益ト存じ只熟考す可キ旨申述ヘ置キ引取リ申候 今日之世にてハ之レトならバ一生ヲ終ると云者ヲ以テ目的とするこそ当然ト奉存候 合田 山本両氏ニ托し御送申上候画も相達し又直左右等御聞取被下候由安心仕候 文蔵様にも御帰京被遊十月頃御出発欧米御巡行と相定候由当年中にハ御面会致し得る事と御待申上候 旅行中気車の中にて読み候例のごまかし歌入御覧候御一笑被下度候
   雁
  春を知らて秋にのみ来る雁かねハ世のうきのとなき渡るらん
   ぶらんけんべるくに行く時ニハ秋になりし如くよほど涼しく相成候得ば
  袖か浦浪の音にハ聞へねと今朝吹く風に秋を知りぬる
 ぶらんけんべるくハマンシユト云海の岸に在り此ノマンシユト云語は仏語にて袖ト云意味もあればかくハ訳したるものに御座候
 ぶりゆくせる府にて公園を通る時木の枝一枝紅葉しけるを見て秋風も矢張世中のものと見エゑこひいきをするかなと云心持にて左の通り読み申候 よほどごまかしに御座候
  秋風も同し浮世のものなれや枝をわきつゝ紅葉しにけり
 (後略)
 父上様  清輝拝
 (後略)