1887(明治20) 年4月15日


 四月十五日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)こないだからだいがつこうのほうがおやすみになりましたからこのしゆうかんはゑのほうを一つしつぺべんきよういたしました まことにまことにおもしろいことでございます ゑをかいておると三じかんや四じかんぐらいたつのはわけハありません このまへのにちようにふぢさんといふゑかきさんと一しよにいなかにあさからでかけゑのけいこをいたしました おひるのごぜんはぱんとひゑたにくとをかひくさはらにねころんでふたりしてたべました まことになんともかんともゆわれないあぢがいたしました(中略) このまへのびんに父上様に申してあげましたようにこのごろはゑかきのともだちのくめさんといふひとゝ一しよにかしやをかりてすまつております きんのうもおとゝいもぎゆうなべをしてたべました まことにいゑをかりきつてすまうとかつてなことができますよ あしたもごうださんといふこんどにつぽんへかへるひとにおせんべつかたがたにつぽんりようりをしてくうつもりです(後略)
 母上様  新太拝

同日の「久米圭一郎日記」より
De 9h à midi j’ai été à l’atelier. Après-midi j’ai écrit 2 lettres, une pour ma famille No 10 ; l’autre à Mr Niwa. Après-dîner nous sommes passés chez Foudji, nous y avons été jusqu’à 10h en causant.

(和訳)四月十五日 金曜日
九時より正午までアトリエにいる。午後に二通の手紙を書く。一通は家族宛の第十号の手紙で、他方は丹羽氏へのもの。夕食後は藤の家に寄り、談笑して十時までいる。

4/15 Vendredi