本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1887(明治20) 年3月11日

 三月十一日附 パリ発信 母宛 封書 一月二十七日つけ父上様 あなたさま 新二郎などよりのおてがみこんにちたしかにあいとゞきありがたくさつそくはいけんいたし候ところみなみなさまおんそろひますますごきげんよくいらせられ候よしおんめでたくぞんじあげ候 つぎにわたくしことあいかわらずげんきにてべんきよういたしおり候あいだどうぞどうぞごあんしんくださいまし ゑのほうもやつぱりべんきよういたします こないだゑのぐのはこを一つかいましてときどきゑのぐををつかつてみるとなかなかおもしろくてなりません そのおんちにてハかなり大きなぢしんがゆりましたよし(中略) わたしがにつぽんをでゝからこんげつでまる三ねんになります まことにはやいものです このあんばいなら十ねんや二十ねんハぢきにたつてしまいます こんどはこれぎりにいたします めでたくかしく 母上様  新太拝 (後略)

1887(明治20) 年3月18日

 三月十八日附 パリ発信 父宛 葉書 御全家御揃益御安康之筈奉賀候 次ニ私事至而元気勉学罷在候間御休神可被下候(中略) 法律学別課教師之件モ首尾能ク相済ミ候ニ付大ニ安心仕候 今度ノ教師ハ先便より申上候通元老院議官ニテ六十計ノ老人ニ御座候 至極深切ニ教授致し呉れ候 仕合ノ事ニ御座候 先ハ御機嫌伺旁 早々 頓首 父上様 平信  清輝拝  御自愛専要奉祈候

1887(明治20) 年3月20日

 三月二十日附 パリ発信 母宛 封書 二月十日のおてがみけさあいとゞきさつそくはいけんつかまつり候(中略) こないだのころはゑのけいこはよるばかりいたしましたがこのごろはよるのけいこはやめましてひるま二じから五じごろまでけいこをいたします あいかわらずゑのせんせいはていねいにしてくれますからしあわせでございます このまへのしゆうかんはそのゑのがつこうにてゑのかきくらがございました おとこのはだかぼをやきずみでかくのが一つとだびどとゆうひとがそうるとゆうとのさまのまへでことをひいてをるところのゑをゑのぐをつかいみたてゝかくのが一つでした わたしハがつこうにいくもんですからほかのひとたちのようにねんをいれてかくことができずそれゆへおとこのはだかぼうのゑハ六ばんでしたけれどもだびどがことをひいてをるゑでは一ばんをとりましたからごあんしんくださいまし(後略) 母上様  新太郎拝

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