1887(明治20) 年1月13日


 一月十三日附 パリ発信 母宛 封書
 十一月四日 十一日 二十五日のおてがみいづれもたしかにあいとゞきありがたくはいけんいたしました 父上様 あなたさまおんはじめみなみなさまおんそろひますますごきげんよくいらせられ候よしおんめでたくぞんじあげまいらせ候 つぎにわたくしこといつもあいかはらずげんきにてべんきようをいたしておりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし ひるまはほんをよみよるはゑのけいこをいたします どうもちかごろはよほどいそがしいことがございます それゆへこないだからたゞはがきばかりあげててがみをあげることができませんでした(中略) さてわたしがさくねんのなつたびをしたときあげましたてがみにぶらんけんべるくといふところでみづをあびつたといふてあげましたらあなたさまのおてがみに「いわしたさんのむすこさんはせいようじんとあびくらつこをしてしれなくなつたおひとだからみづあびもけんのんな事に候」とかいておよこしなさいました まことにあなたさまのおつしやるとをりしぬようなあぶないところでみづをあびるのハまことにあぶないことですけれどもこちらのひとがなつやすみなんどにおよぎにゆくところはすこしもけんのんなことはございません さてそのみづあびばで一ばんおかしいのわおんなのようすです かねてハしりのところにざるのようなものなどをいれたりしてむりにしりをたかくしごぞんじのとおりながいきものをひきつゝてあるくやつがこのみづあびばでハたゞめりやすのぢばんのようなのを一まいきてぴよんぴよんとんであすぶのです こちらでなつのあつさよけにうみばたにあすびにゆきみづをあびるのわちようどにつぽんでとうぢにゆくようなものです それゆへかねもちでなければいくことわできません わたしがぶらんけんべるくといふところにいつたときめしのごちそうなどになつたばんはるとらんさんのうちではなつのあついときたつた二かげつばかりいつておるために一ねんぢゆう一けんのうちをかりきつておると申ことです(中略)わたしがかいたゑをなんでもいゝからおくつてやれとゆうておやりなさいますけれどもいまかくゑはたゞやきずみでいしやつちでこしらゑたにんぎようをおゝきくかくのですからてがみのなかなんどにいれておくることはできません またゑのぐをつかつてほんとうのにんげんをみてかいたのとはちがいまことにつまらないゑです けれどもきよねんのなつやすみまへからかいたのがずいぶんたまつておりますからよいびんのときにおくつてあげます(中略) わたしもたまにともだちなんかといなかにゆきうまにのります そのうまはかしうまにてよつぽよつぽしてどんどんぴちやぴちやとぶんなぐつてもなかなかかけることのできないへこたれうまです そんなへこぼうまだもんですからわたしがのることがてきるのですよ(後略)
 母上様  新太郎拝
 せつかくおからだをおだいじになさいまし
これはかねてのようす これがみづあびばのようすです このかさのもちかたわはやりです こちらのおんなハどんなやつでもみんなこんなあんばいにかさをだいてあるきます〔図〕

同日の「久米圭一郎日記」より
De 9h à midi je travaillai à l’académie Colarossi. 6h de l’après-midi Baba vint et s’en alla à 7h. De 7h à 8h leçon de Mr Arcambeau.

(和訳)一月十三日 木曜日
九時より正午までアカデミー・コラロッシに学ぶ。午後六時に馬場が来て、七時に帰る。七時より八時までアルカンボー氏の授業。

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