本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1886(明治19) 年12月3日

 十二月三日附 パリ発信 父宛 封書 (前略)私事至而壮健毎日法律校へも通学勉強致居候間御休神可被下候(中略) 本月ハ法律校入校免状受取ニ付キ通常学資外ニ百二十仏ヲ要シ候故百仏丈ハ丈ハ来月分を使ヒ込まざるを得ざる都合ニ相成申候 左様御承知可被下候 当地ニ日本ノ庶民夜学校の如き夜学校有之種々ノ学を無月謝ニテ教授致し候 其中画学ノ課も有之候 私ハ昼間ハ充分ニ時間無御座候故当分其夜学校ニ行き勉強致居候 木土の二日をのけて其外ノ日ハ八時より十時迄稽古する事ニ御座候 余附後便 草々 頓首

1886(明治19) 年12月17日

 十二月十七日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)ゑのせんせいがたいへんていねいにしてくれますからまことにしあわせなことです たびたびふぢさんといふゑかきさんとふたりごぜんのごちそうなんどになります このごろはひるまはひまがありませんからよるゑのけいこをいたします まことにおもしろいことです(後略) 母上様  しんたろより

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