八月十六日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたしハこのごろハいなかニをります どうもこの五六日のあつさニハまことニへいこう あせがでてかないません こないだのにつきのつゞきをおくつてあげます ことしのきようしんくわいのためニかきましたゑを一まいおくりました このてがみのつくころニはとゞくだろうとぞんじます よこはまの開通社といふところニあてゝだしました そのかいつうしやからうちニとゞけてくれるでしようとぞんじます このをんなのゑハきようしんくわいでハことわられましたけれどもわたしハずいぶんほねをおつてかきましたのですからどこにだしてもまたひとがなんとゆつてもはづかしくハないつもりです がくぶちハとりはづしたゞゑだけをくりましたからがくぶちハそちらでこしらへさしてくださいますようニ父上様ニ申上げてくださいまし ひのきのまさめかなんかたゞきぢのまゝのがくぶちのほうがきんぱくなどのついたのよりよつぽどよろしうございます またくろぬりのふちでもいゝでしよう なニしろかざりのないものニかぎります 父上様のおかんがへどうりのものでけつこうでございます そのかいてあるかほのをんなはこゝのいなかでよくしごとなどしてたいそうしんせつニせわをしてくれるやつですがこのごろハびようきニてよつぽどよくようじようしないとなかなかよくハなるまいとのことまことニきのどくなことです さくらださんといふひとがこの二三日まへからこゝニあすびニきてをりますのではなしあいてがあつていゝことです まづこんどハこれだけ めでたくかしく 母上様 グレより 新太拝
続きを読む »
十二月十七日 日 一時秩父宮御写真 南洲会(上野) 三時半総理(海軍大臣官邸)