四月二十四日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)つぎニわたくしこといつもあいかわらずだいげんきにてやつぱりいなかにてべんきようをいたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし らいげつのはじめからきようしんくわいがはじまりますからこの二三日のうちニぱりすニかへつていきませうとかんがへてをります そうしてらいげつぢうハことニよつたらぱりすでべんきようしようかとおもひますがまだしつかりとハきめませんよ こないだぢうハしじゆうおてんきがわるくそとでべんきようをすることなどハちつともできませんでしたがこのごろようやくおてんきがなをりはななんどもすこしづゝさきはじめました(中略) たつたいまうんどうをいたしましたときはたけのすみのやぶのなかニさくらのはながさいてをりましたのをみつけましたからすこしばかりつまみきつてもつてかへりました めづらしいせいようのいなかのさくらですからこのてがみのなかニいれておくつてあげます こちらのさくらハみんなこんなやまざくらみたようなはなです こんどハまづこれぎり めでたかしく 母上様 新太拝 せつかくおからだをおだいじニなさいまし
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十二月二十日 水 国民送別会午餐東京会館 三時外務大臣 晩餐近衞公 小村侯 精養軒(築地)七時