八月十三日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたくしハこんげつの一日からちよつとぱりすへいつてをりましてむかしのひとのかいたゑをうつしたりなんかしてをりましたがまた一さくじつこのいなかニかへつてまいりました そうしてやつぱりこないだからかきかけてをりますゑをまいにちかいてをります だんだんすこしづゝけしたりなをしたりしてできていきます もう十五日もしたならたいていすむだろうとぞんじます このゑがすみましたらひとのたつてをるゑをにんげんのおゝきさのとうりにかくつもりです このほうハできあがつてしまいましたらてほんになつてくれるこゝのむらのむすめニやつてしまうつもりニやくそくをいたしました そのかわりニそのおゝきなゑをかくときニはたゞだでてほんになつてくれるのです まづらいねんの五月ゑのはくらんくわいがなニよりのたのしみでございます そのはくらんくわいニわたしのかいたゑがでますればしめたもんです そのときはちよつとがくこうでもそつぎようしたようなもんです なるたけべんきようをしてぜひそのはくらんくわいニだしたいもんだとおもつてをります(後略) 母上様 新太
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十月十九日 火 (欄外 三浦氏第十回)