1905(明治38) 年5月31日 Wednesday


五月三十一日 曇

一ツ橋では専攻一年は休みを請求し本一の四五は総欠席。追々試験期日に近づくので到底もう真面目な稽古は出来ない。上野は例もの通りである。夜佐野が来た。林の歓迎会出席するにつき相談であつた。十時頃まで話す。
本月は開戦以来の最も記臆さるべき月である。よもや実行はされまいと思つた波児的艦隊二十五隻は堂々と進行して殆ど全部殲滅された。こんな事は是からは滅多にあるまいと思はれる。

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例)「1905/05/31 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/873086.html(閲覧日 2024-05-19)