1905(明治38) 年5月26日

午後一ツ橋へ電車で行つた。夕五時頃牙彫撰科生保坂鉄次郎が来てガイヤールに呼れて行くが連れがないから高商の教師の帰国するのに紹介を頼むとの事。気障なフロック爺に願うのはいやではあるが兎に角話して置く事を答へた。読売記者坂口二郎というのが新聞種の合力に来たが追払つた。露艦五隻上海に入り他の三隻は東北に向つたという号外が出た。是から何事か海上の活動が生ずることゝ思はれる。株は下落。

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