1905(明治38) 年5月4日

今日は思ひ掛ない好天気になつて招魂祭は大当りである。併し熱い空気と寒い空気の混流で余り心地のよくない肌合だ。昨夜父上からの手紙が来たので今朝は七時半から目黒に出掛ける。三の橋の手前まで歩き十五銭で価が出来て白金火薬庫まで引張らした。其先きを少し歩いて八時半に行きついた。何も大層な病気ぢやない。小供が耳下腺炎で熱が出たという次第。先づ今日の休暇を棒に振つてゆつくり構へた。何よりおすみの様子は此頃全く変調したやうである。昼飯の御馳走を受けて一時半過に汽車にて品川廻りそれから電車で札の辻までやつた。帰途佐野の処に立寄つたら内の者は九段にやつて留守番をして居る処だつた。食後もんちやくの末一同招魂祭にやつた。跡にて熊崎が稽古に来る。又小代も来た。

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