1905(明治38) 年5月18日

余り降りがひどいから車で一ツ橋に出掛け十時授業を終り電車の乗るために神保町の方に行つた処一面川のやうになつて流れて居る。殊に街鉄線の大通りでは片側は全く浸水して下駄の歯などは及ばぬ位である。須田町で乗替へたが五軒町辺も大水である。上野に着いた時は大分小降になつて仕合せである。例の通り昼は学校の弁当で三時半過に仕舞つた。帰りには今朝の様子はどこへやらで暖かい日が当つて居た。五時に帰宅入浴す。

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