1904(明治37) 年7月19日 Tuesday


七月十九日 晴

朝八時に竹沢の自転車に乗つて出掛けたが、電話にて其不在なる事を知り帰宅す。午後竹沢来訪、何れへか輪行せんを発議し合田を尋ねたが差支へ、夫より竹沢の用向で浜松町の銀行までつきあひ、後佐野を東宮御所内に尋ね、一緒に小父さんをも網にかけ、芝の生ヶ洲に夜食に行く。奥の上等の坐敷を占領し、品川海の眺めと涼風との心地いはん方なし。入浴後清鮮のさしみと大盛りのあら煮で一杯やる。近来成功せる晩食会をなした。帰路三人共立寄り少時話す。

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1904/07/19 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871631.html(閲覧日 2025-04-29)

同日の「黒田清輝日記」より
 七月十九日 火 晴
 午後例刻小西氏来診 尿量減ジテ又少シク水腫ノ気味ヲ生ジタルノ外異状ナシトノ事也 午前十時呼出シニ因リ登校シタルニ校長来ラズ 十一時過ニ至リ始メテ人違ニテ呼出サレタル事知レタリ 実ニ馬鹿ナ目ニ逢ヒタリ 長原君来合セ居リシニヨリ同伴精養軒ヘ行キ午餐ヲ喫セリ 帰宅後夕刻マデニ来訪セシモノ森岡 仲ノ二氏 夜食ノ時中澤 岡野ノ二氏来ル 九時約束ニテ Vicomte d'Ollone ヲ帝国ホテルニ訪ヒ午前一時前帰宅ス 本日在聖路易白瀧ヨリ書状到来
七月十九日 火 晴